死が
本日、友人のSNSへの書き込みで
訃報に接した。
私よりもずっと若く
共通の仕事の上の友人だった。
いや友人と呼ばせてもらっていた、、というのが正しいのだろう。
笑顔が素敵な男だった。
彼とは一度かなり深酒に付き合ってもらった。
仕事はすごく小さな仕事だったのだが、是非次はもっと大きな仕事を、、と
どちらからともなく思っていたのだ。
一報に触れた時に思ったことは、「もっと会っておけばよかった」。
なぜもっと会わなかったのだ。
忙しかったから?いや忙しくてもいつもの仲間には沢山時間を作ってるじゃないか。
面倒だったから?今会わなくてもいいかな、、と思っていたから?
そうしていると会う機会を永遠になくす。
会いたい時に会い、仕事を一緒にするべきだ。
それが生きるってことだ。
自分の仕事のスケールが小さすぎでビビって会わなかったのか?
どうせ先方は気にしてない。
だから会うべきだ。
ここまで書いてまた彼のことを調べたら、、どうやら
実は彼が死んだのではないらしい。
ただ、だとしたからってなんだ?
よかったです。。?いやそれでもどなたかが亡くなっているんだ。
若きその人の家族、ご両親、恋人は皆悲しんでいる。
これは自分の悲しみだ。深く感じなければならない悲しみだ。
この悲しみを教えてくれた、彼。静かに、安らかにと願う。