漂流日本〜電気ロビンソンクルーソーは夢を見たか

毎日の日記です!ロビンソンクルーソーが漂流先で「頭がバカにならないように日記を書きました」と小さい頃読みました。ああ、もうそうなってる私はどうしよう、、せめて書こう、今からでも、、な日記です。

死が

本日、友人のSNSへの書き込みで

訃報に接した。

 

私よりもずっと若く

共通の仕事の上の友人だった。

 

いや友人と呼ばせてもらっていた、、というのが正しいのだろう。

笑顔が素敵な男だった。

 

彼とは一度かなり深酒に付き合ってもらった。

 

仕事はすごく小さな仕事だったのだが、是非次はもっと大きな仕事を、、と

どちらからともなく思っていたのだ。

 

一報に触れた時に思ったことは、「もっと会っておけばよかった」。

なぜもっと会わなかったのだ。

忙しかったから?いや忙しくてもいつもの仲間には沢山時間を作ってるじゃないか。

 

面倒だったから?今会わなくてもいいかな、、と思っていたから?

 

そうしていると会う機会を永遠になくす。

 

会いたい時に会い、仕事を一緒にするべきだ。

それが生きるってことだ。

 

自分の仕事のスケールが小さすぎでビビって会わなかったのか?

どうせ先方は気にしてない。

 

だから会うべきだ。

 

ここまで書いてまた彼のことを調べたら、、どうやら

実は彼が死んだのではないらしい。

 

ただ、だとしたからってなんだ?

よかったです。。?いやそれでもどなたかが亡くなっているんだ。

 

若きその人の家族、ご両親、恋人は皆悲しんでいる。

 

これは自分の悲しみだ。深く感じなければならない悲しみだ。

 

この悲しみを教えてくれた、彼。静かに、安らかにと願う。

50を超えると

全て遅くなっている。

独立した当初は、世界を相手にして

なんでもやってやろう、登りつめてやろう

と思っていた。

 

まだその日は来ていない。

そして10年経ったが、その兆しすら見えない。

 

確かになんとか食べていけるようにはなった。

だが、それだけだ。

 

俺は一体何をやってるんだ。

 

そんな気になる。

 

この日記は私の毎日を書いているが、よくある

ビジネス日記、やる気日記ではなくて

どちらかというと個人的な「魂の浄化」なのだ。

 

だからうまく行かないことも、立ち止まっていることも書く。

下手くそに生きることを

受け止めて書くのだ。

 

だから書く。俺はきっと儲からない。

まずはその前提に立つことから始めよう。

 

晩飯はわびしかったかい

今日も1人で働いた。

 

今日の晩飯は某100円コンビニ

マグロ丼。370円だ。

 

事業主たるもの出るお金は極力抑えるのだ。

 

移動の途中でオニギリでもと思いコンビニに寄ったのだが、400円以下、さらにカロリーも400キロカロリー以下、ということで選んだ。

 

 

さて買ったは良いものの、どこで食べようか。

 

オニギリなら行儀は良くないが歩きながらぱぱっと食べることも出来る。

 

だが、このマグロ丼は立派などんぶり物だ。

 

なので近くの公園で座って食べることにした。

 

暗がりの中、蓋をあける。

醤油の袋、ワサビの袋。

 

どこにもどんぶりを置くところが無いので片手中心の作業だ。

 

誰も私ごときに注意を払ってはいないので気にすることも無いのだか、何か恥ずかしい気がして、急いで醤油袋を開け(注意しないと飛び散るのでそれは避けて)ざっとかけてかき込むようにして食べた。

 

これは私の性分なのだが、こうした時、おかしいのだ。

 

泣きたくなってしまい、ポロポロと涙がでるのだ。

 

私はどちらかというと甘やかされ、大事に育てられてきた方なので、食卓にはいつも沢山のオカズが並び、祖母、姉も含めたそこそこ多人数で食事をしてきたのだ。

 

だが、大学を卒業し、その後は本当に仕事仕事で家族、とくに自分の家庭を持ってからもそうした賑やかな食卓、ということは稀になってしまつていた。

 

家内は本当によくできた家内だが、どうやら料理は嫌いらしく、沢山の食べ物がテーブルに出るか、というとそうでもない。

 

まあ、そんな物さ、と思いつつこの30年ほどすごしてきている。素晴らしい家内で自慢だ。

だが、ごくたまに、私は1人で食事をして、泣くのだ。

 

良い大人の私が、事業をしている私が、快活に世の中に切り込んでいく(風に見えていてほしい)私が、だ。

 

特に独立してからその傾向が強くなった。

 

私は幸せなのか。

 

あの子供の頃思った食卓のような、明るい幸せはどこにも無いのか。

 

そこまで考えることは無いのにそう考えてしまうのだ。

 

サラリーマンだった頃は毎晩誰かと飲んだ。

これで良いのか、と思いながら。このさき、歳を取っても、どこか、人生の流れに乗り、うまいこと定年、老後を迎えるのだろう。過度の心配もせず過ごせるのだろう。そこにはとりあえず、食卓に複数のオカズが上がる日常、またはそれ的なモノが待っているのだろう。そう考えていた。

 

だが、独立したときからそれは無くなった。

 

後から気がついた。

 

独立とはそういう基礎になるような幸せと

時に訣別しなくてはならないものなのだ、と。

 

本当にそうなのかは分からない。

おそらく他にも方法はあり、私のように感じていない人もいるのだろう。

 

私は独立して10年。苦しい毎日だ。気持ちを奮いたたせて毎日過ごしている。

 

私は幸せになりたくて会社を辞めた。

 

1人で仕事する。その分テンションは高く、気持ちにはいつも張りがある。

 

その意味では幸せだ。

 

でも、こうして1人で食べる時、どうしても涙がでる。理屈では無い。出る。

 

妻や子供達を幸せにしてるのか。

もっと頑張らないとダメじゃないのか。

じゃあいつそれが達成できるのだ。

 

お前は自分で幸せに背を向けているのでは無いか。

 

それは仕方の無いことなのか。

 

家にも帰らずずっと仕事に打ち込んでいる。

 

 

幸せなのか。

 

 

正直わからない。でも今はこうすることしかできない。これでいきている。

 

きっと幸せなのだろう。

 

だがもっと幸せになることもできる。

 

その方法を探すために働く。

 

だから明日も

 

働くのだ。

弱る日々

なぜかいつも朝目覚めたら気分が良くない。いつも嫌な気分。

泣きたくなる気分。

どうしたのだろう。

 

今日、仕事がうまくいかないのではないか。

今日、誰かに嫌われてしまうのではないか。

今日、大きくお金を損するのではないか。

今日、家族に不幸が起こるのではないか。

今日、おおきな恥をかくのではないか。

今日、誰かにバカにされるのではないか。

今日、眠れなくなり体がひどく疲れ倒れてしまうのではないか。

今日、世間では誰でもできていることが出来ておらず、遅れをとり、ひどく落ち込むのではないか。

 

などなど、とりとめもなく今日に立ち向かうのに恐怖ばかりが頭に浮かんでしまうのである。

 

恐怖。恐怖。恐怖。

 

ああ、どうしてものだろう。

 

 

 

いかにお金にするか、を考えよう

いかに良いプランがあっても

お金にするか、

真剣に考えないと

だめだ。

 

おととい、暗に学んだ。

 

真剣に、、だ。

 

ここで甘いと合同会社でやってることを

バカにされてしまう。

闇雲に、、、、いいじゃないか

今日は色々と考えて動いた。闇雲に動いた。

 

午前中、必要な手続きのために

とある役所に出向いた。

正直いうと、対応がなってない。

初老の男性の職員は

早口で、それももごもごした口調で必要なことを

あたかも「自分で判断したがごとく」伝えてくれる。

 

そんな言い方じゃ、こっちの世界ぢゃ通用しないぜ。

 

喉元まで出かかったがグッと飲み込む。

 

世の中はそうして回っているのだ。

ここは戦うところじゃないのだ。

 

でも我慢できなくなりそうだ。

 

だが、聞いてくれ、読者の兄弟よ。

 

怒っても、そうでなくても結果が同じなら、

怒らないでいたい。

 

当たり前だが、最近気がついた。

 

だから、

 

流したんだ。

 

かなり、努力して流したんだ。

 

まだまだ火曜。そして俺は週7日働いている。

なぜかって?

 

それが好きだからだ。

 

仕方ない。

夢を明確に、、って前に夢は何だったんだ?

一昨日、旧知の友と会った。

確実に夢を実現していた。

 

自分の城、スケール感のある仕事。

私にも城はある。

ただスケール感は正直なところ、、無い。

なんか、、どこか、、貧しい。

 

彼との話を受けて最近考えていたこと

と妙に符合することがあったので記しておく。

 

彼はこの年齢になったらこれを、

そしてこの年齢になったらこれをするんだ、、

と自分の設計図があるようだった。

 

手順はどうでも

「こうなりたい」という強い

意志と、行動力があった。

 

それに比べ、私はどうだ。

 

「こうなりたい」はあっても

その絵がまだ細部までかけていないのだ。

 

これでは夢は近づいてこない。

 

ただそうは言いつつもこの会社を

立ち上げた時の理想から

さほど離れていない気もする。

 

果たしてどうするのか、、私は、、。